甘えということばは 《性格・親子・日本人》
土居健郎(たけお)(1920― )の『「甘え」の構造』(1971)以来、一種の流行語ともなり、日本人の性格が問題として取り上げられるとき、甘えは、しばしば日本人に固有な心理的特性とみなされるようになった。
彼によると、日本語の「甘え」に対応する適切な外国語はなく、甘えは外国の文化ではみられない日本的特徴であるという。
つまり、日本人の対人関係は、親子関係のように甘えられる関係から、甘えることのできない他人の関係に至る段階が想定され、甘えられる親子の関係が理想的な関係とみなされる。
そこで、甘えられない他人の関係においては、甘えようとして甘えられないことから、恨み、ひがみ、すねるといったような感情がおきてくる。
これは、個人の自我が心理的に確立していないからである。
土居によれば、甘えの欲求が自我によって統制されるにしたがって「自分」という意識が形成される。
自我は甘えを否定するのではなく、甘えの挫折(ざせつ)による孤独感に耐えることを通して形成される。
甘えをこのように構造化することで信頼関係が生まれる。
また、日本的思惟(しい)の特徴は、西洋的思惟に比較して、非論理的、直感的であり、これは日本で甘えの心理が支配的であることと無関係ではなく、もっぱら情緒的に自他一致の状態を醸し出すという甘えの心理は、まさしく非論理的といわねばならない、とも考えられている。
こうした考え方からいえば、一心同体であろうと願うことが、日本人の対人関係を規定する重要な因子であることになる。甘えと精神分析の概念の関係については、マイケル・バリントMichael Balint(1896―1970)の受身的対象愛、ドナルド・ウィニコットDonald Winnicott(1896―1971)の「だっこ」、ハインツ・コフートHeinz Kohut(1913―81)の自己対象、また対極としてのメラニー・クラインの羨望(せんぼう)などの概念との関係が検討されている。
彼によると、日本語の「甘え」に対応する適切な外国語はなく、甘えは外国の文化ではみられない日本的特徴であるという。
つまり、日本人の対人関係は、親子関係のように甘えられる関係から、甘えることのできない他人の関係に至る段階が想定され、甘えられる親子の関係が理想的な関係とみなされる。
そこで、甘えられない他人の関係においては、甘えようとして甘えられないことから、恨み、ひがみ、すねるといったような感情がおきてくる。
これは、個人の自我が心理的に確立していないからである。
土居によれば、甘えの欲求が自我によって統制されるにしたがって「自分」という意識が形成される。
自我は甘えを否定するのではなく、甘えの挫折(ざせつ)による孤独感に耐えることを通して形成される。
甘えをこのように構造化することで信頼関係が生まれる。
また、日本的思惟(しい)の特徴は、西洋的思惟に比較して、非論理的、直感的であり、これは日本で甘えの心理が支配的であることと無関係ではなく、もっぱら情緒的に自他一致の状態を醸し出すという甘えの心理は、まさしく非論理的といわねばならない、とも考えられている。
こうした考え方からいえば、一心同体であろうと願うことが、日本人の対人関係を規定する重要な因子であることになる。甘えと精神分析の概念の関係については、マイケル・バリントMichael Balint(1896―1970)の受身的対象愛、ドナルド・ウィニコットDonald Winnicott(1896―1971)の「だっこ」、ハインツ・コフートHeinz Kohut(1913―81)の自己対象、また対極としてのメラニー・クラインの羨望(せんぼう)などの概念との関係が検討されている。
update:2009年12月11日
